HIROSAKI Heritage|建物が語る弘前文化遺産
あおもり創成パートナーズ株式会社
弘前市民会館

弘前市民会館前川建築によって育まれ続ける市民文化の創造拠点

弘前市民会館は市立博物館とともに弘前城跡(弘前公園)の一角にあり、西方に岩木山を臨み、春は老松や桜に彩られる閑静なたたずまいにある。 市民が優れた音楽や舞台芸術を鑑賞する文化施設、文化祭をはじめとする市民自らが参加する文化活動の場として、さらには弘前公園内の静かな環境で研修・会議などを行う場として、1964(昭和39)年に竣工。学都弘前のシンボルとして誕生し、現在も広く市民に愛されている。

弘前市民会館

市民の誇りである前川建築

設計は近代建築界をリードした建築家・前川國男。前川國男59歳の時の作品で、弘前市内では4作品目にあたる。全体をコンクリート打ち放しという荒々し い素材感で統一。大ホールと管理棟をピロティでつなぐことで、中央正面の車寄せ棟越しに岩木山を望む雄大な視界を確保しながら、左右に伸びやかな空間が広がるたたずまいを実現した。一つの敷地でありながら、その場面ごとによっ てさまざまな風景を醸し出す演出がとられている。

景観を重視して設計された弘前市民会館

前川國男と弘前のかかわり

弘前と前川國男とのかかわりは、まず彼のルーツにある。
前川國男の母は、弘前藩士の家柄の出身で、弘前は母方の故郷だった。母の兄には、外交官として活躍し、外務大臣や参議院議長などを歴任した佐藤尚武がいた。

前川國男が東京帝国大学を卒業後、ル・コルビュジエの建築事務所に入所する際、身元引受人となったのが、国際連盟事務局長としてパリに駐在していた佐藤尚武だった。同じくパリに駐仏武官として在住していたのが、弘前出身の軍人、木村隆三だった。木村の祖父・静幽は、弘前藩士出身で実業家として成功した後、故郷弘前の地場産業の研究機関の設立を企画していた。
木村隆三と前川國男はパリで親交を結び、その帰国後、祖父の志を引き継いだ木村から前川へ、研究所建築について依頼されることになる。

1932(昭和7)年に竣工した木村産業研究所は、前川國男の第一作であり、日本における最古級のモダニズム建築となった。
以後、弘前には前川國男の建物が8作品建つことになるが、そのきっかけは、パリ時代に築いた弘前の人々との親交だったのだ。

環境に溶け込む木目調のコンクリート打放し造り

前川の建築には大きく三つの時期があるとされる。
軽量化と工業化を目指した時期、コンクリートなどの素材の特質を活かすことを目指した時期、そして打ち込みブロックにより素材の劣化を防ぎながら周囲との調和を目指す時期。
その中で、弘前市民会館は、世田谷区民会館(昭和35年)や東京文化会館(昭和36年)などと同じく、コンクリートの素材を活かした建築、すなわち、建築素材を熟知し、その特性を縦横に駆使して建物を構成していく「本物の建築」への志向を目指した時期の建物である。

松欅桜に囲まれた弘前市民会館

弘前市民会館は、木目型枠のコンクリート打ち放しの外壁に、一定のリズムをもった彫りの深い大小のスリット状の開口部が陰影を生む外観を持っている。 これは、保温・凍害対策として、必要最小限の開口部をスリット状に設けてサッシュを守り、単調になりがちな外壁へリズムを作っているものである。また、細かい板を組み合わせた型枠により、荒々しく重々しいコンクリート打ち放しに、温かい手触りのような感覚を与えている。

弘前市民会館 コンクリートの壁
弘前市民会館 木目模様が見えるコンクリートの壁
弘前市民会館 木目模様が細かく見えるコンクリートの壁
弘前市民会館 ヒバの木目や筋が目立つコンクリートの壁

ホール棟の後ろの外壁は平らではなく傾斜がついたかたち。独特の重厚感に、スタイリッシュな角度のついた壁面は、見ていて飽きることがない。この形は、舞台の奥行きをとるのと、野外劇場のバックとして活用することを想定したものだった。また、当初の計画では、東側の弘前城追手門からのアプローチが考えられていたことから、大ホールの舞台の後ろの壁は、弘前市民会館の顔としてデザインされたものだったと言えそうである。 弘前市民会館の平面計画は「ムーブメント」や「一筆書き」などと前川自身が呼んだもので、複数棟をポーチなどでつなぎ、左右非対称で、動線は曲がり、留まり、巡って人々の回遊性を喚起する。

弘前市民会館 印象強い楽屋入口の赤い扉
弘前市民会館 楽屋入口の赤い扉

弘前市民会館は、大きな容積を持つホール棟と事務所・会議室・カフェからなる管理棟をピロティでつなぐ。ピロティはゆったりとした空間で、大ホールや管理棟への来館者を雨や雪から守りながら建物へと誘う。その上は解放されたテラスになっており、前川はそこで西に岩木山を臨み、コーヒーを飲みたいと語ったという。カフェテラスとしての利用を想定して設計されたが、実際にカフェテラスとして利用されるようになったのは2014(平成26)年の新装開館の時だった。

弘前市民会館 大きなポーチ
ポーチは、開演を待つ人々を雨風や雪から守るため、長さ約40m、幅約7mと大きく確保している。
弘前市民会館 ポーチの上のテラス
ポーチの上はテラスになっており、外部階段からもアクセスできる。

細部まで配慮された重厚かつ繊細な内部

ホール棟の入り口を入ると、それまでの低めに抑えられていたピロティの空間から、すぐに階段があり、観客を招き入れるようにカーブして二階へいざなう。ホワイエのシャンデリアはパイプを切って吊り下げたようなデザイン。明かりをともさなくても三方の窓から入る光を照り返して光る。実はシャンデリアは銅管を切って前川事務所の女性職員が作った。

弘前市民会館 窓から木漏れ日が差し込む階段
2階ホワイエへと続く階段
弘前市民会館 施工当時の女性社員がデザインした銅管のシャンデリア
銅管を使った2階のシャンデリア
弘前市民会館 階段から見てもきれいな銅管のシャンデリア
弘前市民会館 2階ホワイエ
弘前市民会館 四角い窓と印象的なカラーリングの空間
四角い窓の並び

大ホールの音響は日本でも指折りと言われている。
前川は多目的ホールではなく音楽ホールが作りたかった。バイオリンのように響かせたいという前川の想いによって、板壁の板は薄く、残響時間は長い印象的な音響効果を生み出していく。

弘前市民会館 大ホール

緞帳(「御鷹揚げの妃々達々」)は棟方志功。緞帳制作にあたって、前川の事務所で下絵をもとに色彩を二人で決めたという。
管理棟ロビーは星空をイメージした照明が静かに人を迎え入れる。天井には、いわゆる「成層圏ブルー」と呼ばれる前川が好んで用いた深い青色が使われている。

弘前市民会館 真下から見た星空のような照明
弘前市民会館 ロビーの星空のような照明
管理棟ロビーの星空のような照明

舞台の床は開館時には檜製であったが、その後ヒバ製に変えられ、2013(平成25)年の改修工事で再び檜に戻されることになった。

弘前市民会館 舞台床は檜製製

照明は2013(平成25)年の改修工事で、舞台照明の一部を除いてLEDに切り替えられた。客席内は1スロープにより、分割されない大空間を基本に、芸術鑑賞に来た観客に対する期待感の高揚のための醸成空間を表現している。

弘前市民会館 芸術鑑賞を考えた造りの客席

平成の大改修

開館から約50年が経過し老朽化が進んでいたが、前川建築という建築学的価値が高いばかりでなく観光資源にもなっている貴重な財産を後世に引き継いでいくため、弘前市は2012(平成24)年~2013(平成25)年に大規模改修工事を行った。翌、2014(平成26)年1月にリニューアルオープン。

「耐震性」「利用者ニーズ」「弘前における前川建築」といったことを念頭に置き、過去における維持管理の過程で意匠変更された部分の復元、時代の要請や利用者ニーズに合わせ、設備等の改修を実施。また市民会館のリニューアルに合わせ、市民会館のシンボルとなっていた棟方志功作「御鷹揚げの妃々達々(おんたかあげのひひたちたち)」の緞帳(どんちょう)も、全体的な色褪せ、黄ばみ等の発生、製織糸の風化により、落下等が懸念されていたことから、今までの緞帳を原画とし構図の再現とともに、撚糸の分析、染料の数値データ化に基づく調合、製織方法の再現等により、1964(昭和39)年当時の状態へ復元された。

弘前市民会館 棟方志功作の緞帳
棟方志功作「御鷹揚げの妃々達々」の緞帳

改修工事の基本方針と概要

2010(平成22)年2月、弘前市では「地域における歴史的風致の維持及び向上に関する法律(歴史まちづくり法)」の制定を機に、弘前市のまちづくりを目指した「弘前市歴史的風致維持向上計画」を策定。大規模改修工事は、この計画の中の「歴史的風致形成建造物の指定方針及び管理方針に関する事項」で指定され、まちづくり政策をバックグラウンドとして進められた。 改修工事に向け、歴史的風致維持の観点から歴史的文化資産としての建築のたたずまい・空間の保存・継承を基本とし、さらに末永く維持し使っていくため建築内装や設備の全面更新とともに、社会的要請やアメニティーの向上が図られた。

コンクリート補修された弘前市民会館

時を経た重みを残しながらのコンクリート補修

1964(昭和39)年の竣工(しゅんこう)以来、北国の厳しい気候に耐えてきた建物は、部分的ではあるが、凍害、コンクリートの劣化などにより、鉄筋のさびによる爆裂が多くなっていたため、凍害を受けた部分や爆裂の部分についてコンクリートの色合わせに配慮しながら部分的に補修した上で、全面に防水性の保護膜を形成させ、劣化の進行を遅らせる対策を講じた。

大ホールの優れた音響特性を維持

改修工事では、響きに対し大きな影響を持つ客席の全面的更新が含まれていたが、その影響を極力少なくするため、客席素材の吸音率などち密なデータ計測とシミュレーションを実施した上で選定。また、ホール客席の壁面は、ブナの積層合板による平面、2次曲面で構成されており適度な音響拡散効果により、バランスの良い響きとなっていることから、基本的には、表面のクリーニングとクリアの塗装にとどめることとし、壁はそのまま残す工法で行われた。

優れた音響特性を持つ弘前市民会館の大ホール

ロビーの明るさ感の向上

ホール棟1階の天井は、構造上天井の高さは変更ないものの、奥の部分の天井に新たに「おむすび」型の造形照明を配置したことにより、感覚的には明るい空間へと生まれ変わった。フロアに配置されたスツール(前川國男オリジナルを復元)と調和が取れ、明るくゆったりとした感じになっている。

弘前市民会館 おむすび型の造形照明
弘前市民会館 星空を意識した天井の成層圏ブルー

管理棟は照明器具の配列を継承したまま、天井の色を今までの群青色からもっと濃いブルー(成層圏ブルー)に変更。これによりロビーの天井はLED照明と相まって星空のイメージが強調された。

弘前市民会館 1階から見たロビーの天井

弘前市民会館 ステンドグラス「青の時間」

ステンドグラスは佐野ぬいによる。2014年の市民会館会館50周年で設置されたもの。

弘前市民会館 ステンドグラス「青の時間」

弘前市出身で、印象的な青色を多用し、「佐野ブルー」と呼ばれてファンの多い日本を代表する洋画家である佐野ぬい氏により、管理棟北側の全面ガラスの空間にステンドグラスが設置された。
原画と制作監修のみならず、直接ガラスへの絵付けまで行っており、佐野ブルー独特の色彩や構成が見事に表現されることとなった。管理棟ロビーは、前川の成層圏ブルーと佐野ブルーが、青く美しい空間を構成している。

これから先の時代も市民に愛される文化施設として

「近代的なしかも人間的な弘前の町づくりの一端に」。これは、市民会館が1964(昭和39)年に竣工した時に、設計者である前川國男が寄せた「設計者のことば」の中につづられたもの。市民会館への前川國男の思いが込められている。

「前川建築としてのたたずまい、豊かな響きのホールとその舞台で発表・鑑賞できることの喜び、そして、芸術文化に対する先人たちの思いを大切にし次世代へ引き継いでいくことを基本理念とした平成の大規模改修によって、これから先の時代も市民に愛される文化施設としての道を歩んでいる。

市民に愛される文化施設 弘前市民会館

市民に愛される文化施設 弘前市民会館

設計者のことば(弘前市民会館 前川國男)※原文

″東北屈指の文化都市弘前に建てられた市民会館の設計監理を担当する事が出来ました事は私共の最も光栄とするところであります。

設計開始以来2年5カ月、建築工事開始以来1年6カ月、今日無事その完成をみました事は建設委員の方々、市の当局者の方々そして工事の直接担当者にとりまして、まことに感慨深いものがあると存じますが建築はその本体だけで完成というわけには参りません。周囲の環境の整備という事が不可欠であります。
この点予算の関係上未だ完成というわけには参っておりません。従って此の市民会館も未だその十全の姿を現わしておらない点が私共の心残りであります。市民および当局者の方々の深き御理解によって此の点も今後辛抱づよく推敲を重ねて文字通り東北屈指の文化センターに仕上げたく念願しておる次第であります。なお此の点に関しては弘前市の将来のあるべき姿の都市計画的な把握のもとに、的確な計画をすすめるべき事であると存じます。つまり弘前市のもつ自然的なそして歴史的な性格を十二分に表現するに適切な計画でなければならないと思います。

由来近代文明はその発生の起源に於いて既に「反自然」的性格を運命づけられて来ました。従って近代都市も亦た必然的に「反自然」的である運命をになわせられております。そして此の事が人間の命運に重大な影響を与え、人間の幸福を左右する岐路に今日のわれわれを立たせていると言えましょう。

弘前の町もその例外ではありません。交通の発達、産業の発展、所謂都会的な文化の滲透 といった一連の現象につれて、次第にその地方的な特色が失われていく事は避けられない事かもしれません。然しよく考えてみますと、重大なポイントは、その地方的特性が失われていくという事より今日の都市化それ自体が内蔵している非人間性そのものではないでしょうか。さきに私は近代都市文化は本来「反自然」であり、したがって「反人間」的であると申しました。とすれば今日の都市化それ自体の「人間性」を恢復するという事自体が重大な矛盾であるという反論が当然起こりましょう。然し考えてみますと、現代の都市化の「非人間性」は都市化が人間以外のもの、たとえば「金銭」を中心にすすめられる人間の正当な願望が二のつぎにおかれたというところに問題があったのだと思います。「社会的な動物」といわれる人間には本来孤独をきらって集団生活をいとなみたいという本能的な願望があった筈です。聚落を形づくって生活したいという願は本来非人間的なものではなかった筈です。ただそうした純粋な願いが「金銭」といった様な人間以外のものの恣意にスリかえられていった所に今日の都市化のもつ悲劇がはじまったものと思います。

あの美しい弘前の城は「金銭」が中心で予算が心棒でつくられたものではありますまい。「こうした城をつくりたい」という人間的な願が先行して具体的な手段はこの願を心棒にして考え出され、つくり出されていったものに相違ないのです。現代の財政組織の枠の中にハメ込まれて「予算」なしには何ものも実現しない事はワカリ切った事であります。然し予算に先行するものは何よりも先ず市民の願望であるという事を忘れては本末顚倒のそしりを免れません。

かつてヨーロッパ中世の市民はこうして彼等自身の美しい町を築き上げてきました。現代都市を築きあげるものは民主社会の「市民の心」であって決して「予算」ではありません。 この市民会館の建築もこうした立場にたって私どもの微力をつくしました。近代的なしかも人間的な弘前の町づくりの一端ともなれは私共にとりまして望外の幸せと存じます。
(1964年4月)″

建築概要

名称 弘前市民会館
設計 前川國男
竣工 1964(昭和39)年
構造・規模 RC造(鉄筋コンクリート造)地下1階3階建、建築面積 3,236㎡
所在地 〒036-8356 青森県弘前市下白銀町1-6 (弘前公園地内)
文化財指定 弘前市景観重要建造物指定(2014(平成26)年2月指定)

沿革

1962(昭和37)年 着工
1964(昭和39)年 竣工
1996(平成8)年 第6回BELCA賞ロングライフ部門を受賞
2012(平成24)年12月~
2013(平成25)年12月
大規模改修工事
2014(平成26)年 弘前市景観重要建造物指定
2018(平成30)年 第76回公共建築賞の特別賞を受賞

基本情報

区分 景観重要建造物
住所 青森県弘前市下白銀町1-6 地図
見学の際の注意事項 要予約
交通 【バス】
JR弘前駅より弘南バス 土手町循環100円バス「市役所前」下車 徒歩約10分
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