弘前れんが倉庫美術館100年以上の歴史を持つ古の煉瓦建築が美術館へ
先人たちに思いを馳せた世界的建築家による「記憶の継承」
1907(明治40)年から1923(大正12)年の間に酒造工場として建てられたとされ、戦後は国内初の大々的なシードル製造工場として、100年以上に及ぶ弘前の街並みや風景を彩り続けた「吉野町煉瓦倉庫」が、2020(令和2)年美術館として新たに生まれ変わった。建築の改修は、飛行場の滑走路跡地を活用した「エストニア国立博物館」の設計などで知られる、建築家・田根剛氏がリード。歴史と伝統に誇りを持ち、レトロモダンを現代へ継承しようという弘前の人々の文化意識を未来へ引き継ぐ「記憶の継承」をコンセプトに、新築や改築でもない『延築』を目指した。近代産業遺産を単に保存・修復・解体するのではなく、先人が創り上げた古の建物に宿る記憶を更新するかのように煉瓦を積み上げ、煉瓦倉庫の新たな価値を美術館として表現している。
過去と未来を繋ぐ『延築』の美学
外観をほとんど変えることなく、既存の煉瓦壁を無傷で活かせるよう、高さ9メートルのPC鋼棒を挿入する工法で耐震補強するなど、修復技術に主軸をおいた設計は、建物の記憶や歴史を継承して未来の時間へと繋げる『延築』と定義づけられた。内部も漆喰を剥がして煉瓦やコールタールの壁をむき出しにし、過去の姿をあえて維持している。建物の長い歴史のなかで空間の質はそのままに、多様な時間軸を体感できる建物となっている。
建築設計の礎となった創始者・福島藤助の志
「吉野町煉瓦倉庫」の創始者である福島藤助は1871(明治4)年弘前に生まれ、もともとは大工職人であった。1896(明治29)年には酒造りの道に転じて、大工の親方に提供してもらった茂森町の土地に酒造所を設け、酒造りの研究や販売方法を学び醸造業を繁栄させた。
1907(明治40)年に醸造所を吉野町に移し、最大時には敷地面積3700坪、総建て坪2200坪、敷地内には10数棟の工場や倉庫を建設した。福島醸造に限らず、藤助が手掛けた建造物の多くはレンガ造り。当時の弘前では西洋建築が建築文化のトレンドの最中にあったが、それ以上に「簡単に壊すことのできない頑丈な素材を用いることで、たとえ事業が失敗しても、建物自体が街の将来のために遺産として残すことができる」という、藤助自身の煉瓦建築へのこだわりと情熱をうかがい知ることができる。藤助の逝去により福島家の経営権から手を離れた後、福島醸造はりんご酒製造免許を持つ吉井勇に引き継がれ、1949(昭和24)年日本酒造工業株式会社へ。5年後には朝日麦酒株式会社(現・アサヒビール株式会社)の後援により本格的な欧風シードル事業へと展開した。シードル工場が移転し酒造工場としての役割を終えた煉瓦倉庫は、1997(平成9)年まで政府米保管倉庫として使用された。
美術館としての新たな息吹
明治・大正期の風情を残す遺物として弘前市民から親しまれ、さまざまな産業発展を遂げた「吉野町煉瓦倉庫」は、その役割を終えた後も再生活用の声があがり、1988(昭和63)年に結成された弘前青年会議所のOB会員15人ほどの組織「煉瓦館再生の会」と、当時弘前大学教育学部教授であった村上善男によって美術館としての再生が提案された。 2002(平成14)年約6万人の来館者を迎え、奇跡の展覧会と称された「I DON’T MIND, IF YOU FORGET ME.」、2005(平成17)年に「From the Depth of My Drawer」、続いて2006(平成18)年には「YOSHITOMO NARA+graf A to Z」と、3度にわたって弘前出身の現代美術作家・奈良美智氏による展覧会が開催され、美術館としての煉瓦倉庫を強く印象づけた。
独創性高い意匠が散りばめられた美しい建築空間
建物の随所にみられる田根氏の意匠。なかでも、古いシードル工場の時代を彷彿とさせる屋根は、シードル・ゴールドに輝くチタンの金属板で葺き直した美術館のシンボル。正方形の特注チタン約13,000枚を使用した屋根材は、天候や時間の経過に伴う光の反射によってさまざまな色相に変化し、弘前の街の風景を表情豊かに彩っている。
ひときわ目を引くのは、ドーム型アーチ状に積み上げた煉瓦造りのメイン・エントランス。既存のイギリス積みに対し、「弘前積みレンガ工法」と呼ばれる田根氏と職人の協同によるオリジナルの手法を採用し、互い違いに煉瓦を重ねて柔らかなドーム型アーチ状に組み上げられている。その独創性高い形状は訪れる人々を瞬時に惹きつけ、ぬくもりに包み込まれたような感覚を誘う。国内では皆無に近いといわれる難易度の高い工法とされ、手仕事ならではの美しさを証明している。
受付や展示室、ライブラリー等の内部空間の魅力は素材の組み合わせの妙。古い煉瓦と新しい煉瓦、木と金属、コールタールの黒い壁と塗装仕上げの白い壁。異素材のコントラストは各々の個性が調和して絶妙な心地よさやほどよい緊張感を創り上げている。
美術館の建物側面は、窓の大きさや変則的な配置は当時の状態を活かしている。外壁は古い煉瓦と調和するように、新しい煉瓦の焼き色にあえて変化をつけて既存煉瓦に近づけた風合いにしている。
白く塗装した煉瓦壁や黒い扉、真鍮と木材を組み合わせた手すりなど、異素材融合のセンスが心地よい。時が刻まれた古い煉瓦との調和が何とも味わい深い。
既存の建物のリベット溶接が撃ち込まれた鉄柱に支えられた1階展示室。コールタールの黒い壁を部分的に活かすなど、建築物のオリジナリティを堪能できる。鉄骨の構造材がむき出しの天井が特徴の2階展示室とはまた違った空間演出を楽しめる。
シードルなどの飲食が楽しめるカフェレストランと、ミュージアムグッズやギフトの販売ブースを併設したカフェ・ショップ棟。正面壁は明治期の建設当初のものを活かして再生。
2021年度秋冬プログラム「りんご前線 — Hirosaki Encounters」展示の様子
※2021年10月1日(金)〜 2022年1月30日(日)
美術関連の出版物などを閲覧できるライブラリー。天井一面に広がる木造の小屋組みは、古いものと新しいものが調和するよう配慮され、部分的な梁の入れ替えや構造補強などの改修を施している。
心地良さを感じ、時間を忘れるほどに惹き込まれる空間には、すっきりとした空気感とほっとするような温かさや懐かしさが満ちている。古き良き時代や当時を生きた人々の思いをくみ取り受け継ぐことで、創造のスケールは広がるのかもしれない。「弘前れんが倉庫美術館」の持つディテールや経年変化の美しさに直に触れながら、これからの未来にイマジネーションを広げてみたい。
田根 剛/建築家/Atelier Tsuyoshi Tane Architects
1979年生まれ。フランス・パリを拠点に活動。2006年、エストニア国立博物館の国際設計競技に優勝(2016年に開館)するなど国際的な注目を集める。フランス文化庁新進建築家賞、第67回芸術選奨文部科学大臣新人賞など多数受賞。
建築概要
名称 | 弘前れんが倉庫美術館 |
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設計 | Atelier Tsuyoshi Tane Architects 田根剛 |
竣工 | 2020(令和2)年2月 ※グランドオープン/2020(令和2)年7月11日 |
構造・規模 | 煉瓦造、一部鉄骨造、鉄筋コンクリート造、木造 |
所在地 | 〒036-8188 青森県弘前市吉野町2-1 |
沿革
1880(明治13)年 〜 1907(明治40)年 |
煉瓦倉庫建設前 楠美冬次郎によって、中津軽郡富田村(現在の吉野町)にりんご園「不換園」を開設。 |
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1913(大正2)年 〜 1939(昭和14)年 |
日本酒造工場時代 福島藤助が社長を務める福嶋醸造株式会社の事業拡大により、1913(大正2)年に工場と倉庫を10棟に増設。現在に引き継がれる煉瓦造の建築は福島によって手掛けられる。 |
1950(昭和25)年 〜 1965(昭和40)年 |
シードル工場時代 のちの朝日シードル株式会社の社長となる、吉井勇は、1950(昭和25)年頃朝日シードルの設立にあたり、シードルに造詣の深い東京大学農学部・坂口謹一郎博士に相談。日本におけるシードル事業の礎が築かれていく。 |
1975(昭和50)年 〜 1996(平成8)年 |
倉庫時代 朝日シードル株式会社からニッカウヰスキー株式会社へと引き継がれた煉瓦倉庫は、ニッカウヰスキー弘前工場の移転ののち、1975年、一部を取り壊し合棟し、現存する煉瓦倉庫の形へと変容。 |
2002(平成14)年 〜 2020(令和2)年 |
煉瓦倉庫から美術館へ 美術家・村上善男らによる煉瓦館再生の会の活動をはじめ、煉瓦倉庫の活用をめぐる議論が起こる。 |
2002(平成14)年 | 奈良美智「I DON’T MIND, IF YOU FORGET ME.」展を開催 |
2005(平成17)年 | 奈良美智「From the Depth of My Drawer」展を開催 |
2006(平成18)年 | 奈良美智、graf「YOSHITOMO NARA + graf A to Z」展を開催 |
2007(平成19)年 | 吉野町緑地に奈良美智『A to Z Memorial Dog』設置。弘前市に寄贈 |
2015(平成27)年 | 弘前市が土地と建物を取得。「弘前市吉野町煉瓦倉庫・緑地整備検討委員会」発足。 |
2017(平成29)年 | 「(仮称)弘前市芸術文化施設」の整備が本格的に始動 |
2018(平成30)年 | 改修工事開始 |
2020(令和2)年 | 弘前れんが倉庫美術館開館 |
基本情報
住所 | 青森県弘前市吉野町2-1 |
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営業/休業 | 火曜日(祝日の場合は翌日に振替)、年末年始 |
見学の際の注意事項 | 【入場制限について】 新型コロナウイルス感染防止対策のため、入場制限を実施する場合あり ・20名以上での来館は事前に団体観覧申込書の提出要 ・来館当日、館内の混雑状況に応じて入場制限の場合あり |
営業時間 | 9:00~17:00 |
料金 | 展覧会によって観覧料変動 以下の方は観覧無料 ※当日は証明提示要
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交通 | 【徒歩】 JR弘前駅より…徒歩20分 【タクシー】 JR弘前駅より7分 【バス】 JR弘前駅より弘南バス「青銀土手町支店」下車 徒歩4分 JR弘前駅より弘南バス「住吉入口」下車 徒歩2分 |
関連リンク |