日本基督教団弘前教会教会堂奥ゆかしさと堂々たる存在感を併せ持ち弘前の街並みを彩る東北最古のプロテスタント教会
- 信仰の自由を広め「学都弘前」の礎を築いた創設者・本多庸一
- 宗教建築の理念を実現しようと奮闘した地元の建築家たち
- パリのノートルダム大聖堂をモチーフにした双塔式ゴシック風木造建築
- 厳粛な空間性と和洋折衷の佇まいに引き立つ計算されたシンプルな意匠の数々
- 110年以上を経た今も明治の気風を映す近代建築の秀例
まちの中心にある弘前公園を取り巻くように点在する洋館の数々。江戸時代の寺社や仏閣の優れた建築の多い弘前にあって、西洋建築への憧れを示すかのような繊細な意匠がちりばめられた明治の洋館たちは、ひときわ目を惹く存在だ。とりわけ、斬新で洗練された風格が漂う「日本基督教団弘前教会教会堂」は、どこか日本人の奥ゆかしさを感じさせながらも、西洋的な威風堂々とした存在感を併せ持つ。そのたたずまいは、明治の建物でありながら、現代の街の風景に溶け込む時代を超えた新しさを感じさせる。
信仰の自由を広め「学都弘前」の礎を築いた創設者・本多庸一
「日本基督教団弘前教会」は明治8年(1875)、藩校の流れをくむ私学・東奥義塾の初代塾長・本多庸一と、教師として招聘されたジョン・イングらが創設した公会形式の弘前教会を母体とする。彼らの信仰心や志は、キリスト教の伝導とともに、弘前のみならず日本を代表する多彩な逸材の養成を実現し、その拠点ともなったこの教会は「学都弘前」の礎を築いたシンボルのひとつであった。東北地方では最初のプロテスタント教会である。
現在の教会堂は、明治37年4月の焼失後、明治39年12月に竣工し、翌年8月には盛大に献堂式が行われたものである。
宗教建築の理念を実現しようと奮闘した地元の建築家たち
設計は、全国各地で教会関連の建築を手掛けた、弘前出身のクリスチャン棟梁・櫻庭駒五郎で、施工は堀江佐吉の四男の齋藤伊三郎が請け負った。齋藤は、五所川原市の重要文化財旧津島家住宅(斜陽館)も手掛けた熟練の建築家だった。
パリのノートルダム大聖堂をモチーフにした双塔式ゴシック風木造建築
教会堂を正面から望むと、パリのノートルダム大聖堂に似たゴシック風のダイナミックな外観に目を奪われる。天を突きさすような双塔、中央に施されたレリーフ装飾のメダイヨン、トレサリーで装飾された尖塔アーチ型の上げ下げ窓とドリップストーン(雨押さえ石)のコントラストなど、質素でありながらもスケールの大きさを感じさせ、気品と重厚感を漂わせている。
外壁は下見板張り。オイルペンキ塗装で仕上げている。石造ではないが、四周にバットレスを設け、各部の胴蛇腹による水平の強調、淡いベージュの壁面と朱色の屋根のコントラストなど、モダンな印象を与えている。背面にまわると、バットレスとゴシックアーチがリズミカルに連なる。
屋根構造は、合掌の途中で陸梁(ろくばり)を架ける変則のキングポストトラスを組み、天井はヴォールト状に仕上げている。基礎は野面積石三段積、中段に換気孔が設けられている。
厳粛な空間性と和洋折衷の佇まいに引き立つ計算されたシンプルな意匠の数々
礼拝堂の魅力はやはり空間性の妙技。上に伸びるような高い天井、軽快なビジュアルにこだわり、神の象徴とされる採光の加減がなんとも幻想的で、開放感にあふれている。
内部の腰壁は鏡板張、上壁や天井は白漆喰で仕上げられ、アーチ状の窓とのコントラストが美しい。天井のローゼットまわりやアプス祭壇まわりも白漆喰のレリーフで装飾されている。意匠のひとつひとつがシンプルで洗練された印象を与えている。
教会堂の南東部の階段を上ると、3つの間仕切りが可能な30畳の和室がある。堂内全体を見渡せるこの大広間によって収容人数の増員を図るとともに、より空間の広がりを生み出している。和洋折衷のもたらす温和な佇まいが実に趣深い。
和室下の襖戸に飾られた「弘前礼拝堂」の札は、最初の教会堂から掲げられてきた、本多庸一直筆のもの。黒い焦げ目は、二代目の教会堂が火災にあったときの痕。
110年以上を経た今も明治の気風を映す近代建築の秀例
平成5年(1993)に「県重宝」に指定された教会堂。大切に使われながら、築後110年以上経過した現在も聖書の学びと祈りを捧げる場として利用されている。厳しい自然環境と本州の北辺という地理的環境のもたらすハンディキャップを、教育の力によって跳ね返し、青森県下最大の近代都市として発展していった弘前の先人たちの気概を示す、シンボリックな建物である。
建築概要
名称 | 日本基督教団弘前教会教会堂 |
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設計・請負 | 櫻庭駒五郎、齋藤伊三郎 |
竣工 | 1906(明治39)年 |
構造・規模 | 木造、一部2階建、鉄板葺 建築面積238.04平方メートル |
所在地 | 〒036-8355 青森県弘前市元寺町48 |
文化財指定 | 県重宝 |
沿革
1875年(明治8年) | 本多庸一やジョン・イングらによって弘前教会組織。 |
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1880年(明治13年) | 最初の教会堂建築 |
1897年(明治30年) | 教会堂建築(堀江佐吉施工) |
1904年(明治37年) | 教会堂と牧師館を焼失 |
1906年(明治39年) | 現在の教会堂を再建し、12月に竣工 |
1907年(明治40年) | 8月献堂式挙行 |
1993年(平成5年) | 7月県重宝指定 |
基本情報
区分 | 県重宝 |
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住所 | 〒036-8355 青森県弘前市元寺町48 |
営業/休業 | 月曜日、日曜日および水曜日の午前中 ※職員不在、教会行事、冠婚葬祭時は見学不可 ※新型コロナウイルス感染症の蔓延の状況により、2022年12月末まで内部見学は不可。外観見学のみ可能 |
営業時間 | 9:00~16:00 |
料金 | 無料 |
見学の際の注意事項 |
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交通 | JR弘前駅より弘南バス土手町循環100円バス20分、「弘前文化センター前」下車徒歩5分 |
関連リンク |