旧弘前偕行社陸軍将校たちの社交場にふさわしい優れた意匠を数多く残す東北地方有数の大規模な陸軍的遺構
- 「日本庭園と洋風建築の調和」をコンセプトとした堀江佐吉最後の建築
- 随所に散りばめられた繊細な細部意匠が優雅さを演出
- 耐震補強を施した復原改修工事を実現
- 設えのグレードにみる各室の格式の高さと計算された間取りに注目
- 地域の社会福祉の拠点が重要文化財に
- 地域のために新たな価値を生み出す現代の社交場
弘前大学を中心とした教育・文化施設が充実する地域に、瀟洒な洋館と広大な緑地を持つ「旧弘前偕行社」の区画がある。明治40年(1907)に、陸軍第八師団の将校たちの親睦や共済、そして学術研究の場などとして建設された。「旧弘前偕行社」は、東北地方に残る陸軍関係施設の代表的な遺構として優れた意匠を数多く残し、建築分野の観点からも保存価値の高い建物と評されている。
「日本庭園と洋風建築の調和」をコンセプトとした堀江佐吉最後の建築
もともとは、弘前藩 9代藩主・津軽寧親(やすちか) の別邸跡。施工を手掛けたのは、当時の陸軍関連施設の建設を数多く手がけた弘前の大工棟梁・堀江佐吉。どこか「鹿鳴館」を彷彿とさせるような佇まいは、当時における陸軍将校たちの華やかな社交場にふさわしく、高貴で優美な風格を漂わせている。完成を目前に控えた年の夏、佐吉は竣工を見届けることなく病没したため、これが最後の作品となった。
随所に散りばめられた繊細な細部意匠が優雅さを演出
ルネサンス様式を基調とした「旧弘前偕行社」は、建築面積958.579平方メートルもの大規模な木造平屋建て。屋根は寄棟造の瓦葺で、架構は大部分がキングポストトラスによる洋小屋組。中央にドーマー窓のついたマンサード屋根が付く。葺かれている瓦は安田瓦。基礎は、「イギリス積み」と呼ばれる煉瓦積布基礎で、外壁の水切りと見切縁を兼ねている。
外壁は竪瓦下地の上にモルタルを塗っている。窓台を持ち出して蛇腹風にまわしている。レトロモダンな風合いが美しい、赤・緑・ベージュのコントラストが、ハイカラな洋館の奥深さを演出している。
車寄せとポーチを配した正面玄関まわりを見渡すと、随所に散りばめられた華やかな細部意匠に目を奪われる。正面中央上部のドーマーウインドウ、軒周りの持ち送り板、窓周りの飾り枠、上部につけた櫛型や三角形の破風飾りなど、繊細なアクセントが効いた正面性重視のデザインが特徴。ポーチには鋳鉄柱を用い、唐草模様の車寄せの妻飾りや、陸軍第八師団にちなんだ「蜂」の鉄製レリーフが華やかさを引き立てている。
耐震補強を施した復原改修工事を実現
平成25年から、明治の竣工時の姿に復原する大規模な保存修理事業等に着手し、令和2年3月までに一連の保存修理事業等を完了している。将校のサロンにふさわしい、威容を誇った往時の姿に甦った。
外壁や軒は、それまでの優しい白を基調とした風合いから薄いグレーと深い緑色のグリーンのモダンな配色に塗り替え、鉄製の装飾も建設当時の色に復原。中央棟、東棟、西棟の各面の屋根を装飾していたドーマーウインドウも復原し、車寄せの屋根にはアクロテリオンと呼ばれる装飾を設置した。
会場は竣工時にはなかった間仕切りなどを撤去。遮るもののない一室の大空間となっている。
採光のために設けられた窓を壁に戻すなど、各室の内装を明治の姿に復原した。
「小集会所」には、クッション性の高いイギリス製のリノリウム床材に復原。
出入り口となる門柱の間には鉄製扉を復原し、上部の特徴的な電燈も復原した。レンガ塀には鉄柵も復原した。
設えのグレードにみる各室の格式の高さと計算された間取りに注目
館内で注目したいポイントのひとつは、華やかな社交場、遊戯、応接などのテーマ性のある間取り。応接所、受付、小集会所、球突場、書籍室、客室があり、各室のコンセプトに応じたインテリアやカーテンレール、天井の高さ、床材など設えの比較もおもしろい。各部屋の「額縁天井」と呼ばれる漆喰の繊細な中心飾りは、往時のままに現存されている。
将校たちがビリヤードを楽しんだ「球突場」。明治の建築当時、ビリヤードは、軍隊の将校をはじめとする上流階級向けの娯楽であった。ビリヤード台専用の基礎だけが残っており、位置がわかるように、台があった部分の周りを囲うようにして敷物を敷いている。
将校たちの社交場や催事場として活用された会場。高さ5メートルほどの開放感のある空間。
外国製タイル(イギリス・ミントン製など)が張られた暖炉は、明治40年の鳥取県の仁風閣や兵庫県の旧神戸居留地十五番館のものと類似しており、洗練されたデザインが美しい。一部欠損している箇所もまた趣深い。
廊下に面したコート掛けは当時のまま。ねじ穴は当時主流であったマイナス型で復原した。多少のズレが目立たないようあえて縦向きにそろえ、微調整されている。
館内の大多数の窓ガラスは、気泡が入ったタイプや、波打ちタイプなど、外の風景が少し歪んで見えるレトロなタイプ。強度の高さが特徴で、現代では復原が難しいとされている。
明治41年(1908)に皇太子時代の大正天皇が、弘前に宿泊した際、御座所となったと考えられている空間が、建物の西南端に位置する「客室」である。絨毯敷に、ドレープ、レース、ロールスクリーンという、他の部屋にはない、三段構えのカーテン装置が施されている。会場同様に暖炉が設置され、天井は他室よりも高く設計されている。三灯式のシャンデリアは、シェード・グローブを含めて当初のもの。デザイン性や設えの高級感、日当たりの良さ、三連窓から望む庭園の眺望が最も良好であることなどから、この建物の中で最も格式高い部屋であることがわかる。
地域の社会福祉の拠点が重要文化財に
旧弘前偕行社は、戦後陸軍の解体に伴い、地域医療・福祉分野の先駆者であった、鳴海康仲の創設理念に基づき、弘前女子厚生学院(現・弘前厚生学院)の校舎として、次世代を担う人材育成のための教育施設となり活用されることとなる。その地域に根差した社会福祉貢献を、歴史的な建造物で継続し続けることにより、遺構は良好な状態で保存されることとなった。「東北地方に現存する数少ない陸軍師団関係施設の代表的遺構であるだけでなく、陸軍省営繕組織による建築意匠の展開を示すものとして貴重である」として、平成13年(2001)に重要文化財の指定を受けている。
地域のために新たな価値を生み出す現代の社交場
旧弘前偕行社は、今回の保存修理を経て、明治期の竣工当時とほぼ変わらない様相で保存されている。この文化財を未来へ継承していくために、地域のまちづくりや観光資源、社会共生のコミュニティスペースとして、新たな価値を創造し続けている。
2021年秋、コロナ禍のなかデザインマスキングテープ展「mt博」が開催された。会場内は建物の雰囲気に合わせて窓や通路が装飾され、レトロモダンとトレンドの融合を演出し、多くの来館者を楽しませた。
建築概要
名称 | 旧弘前偕行社 |
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設計・請負 | 櫛部宇一他/堀江佐吉 |
竣工 | 1907(明治40)年 |
構造・規模 | 木造平屋建、屋根構造はトラス構造、寄棟造(桟瓦、鉄板) |
所在地 | 〒036-8185 青森県弘前市御幸町8-10 |
文化財指定 | 県重宝、国の重要文化財 |
沿革
明治31年(1898) | 現在の弘前大学構内に師団司令部を開設 |
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明治37年(1904) | 弘前偕行社新築移転計画立案 |
明治40年(1907) | 弘前偕行社本館完成 |
明治41年(1908) | 皇太子嘉仁親王(後の大正天皇)が弘前偕行社にご宿泊 |
昭和10年(1935) | 昭和天皇の弟宮である秩父宮(ちちぶのみや)殿下が歩兵第31連隊第3大隊長に着任 |
昭和20年(1945) | 第2次世界大戦が終結し、日本軍が解体するとともに偕行社も解散 |
昭和20年(1945) | 弘前女子厚生学院校舎として使用 |
昭和21年(1946) | みどり保育園舎として共用 |
昭和55年(1980) | 弘前厚生学院記念館として公開 |
平成12年(2000) | 「県重宝」に指定 |
平成13年(2001) | 「国の重要文化財」に指定(県内98件目)指定対象/建造物1棟、棟札1枚、門柱及び煉瓦塀 |
平成25年(2013) | 大規模な保存修理事業に着手 |
令和 2年(2020) | 一連の保存修理事業等を完了 |
基本情報
区分 | 県重宝、国の重要文化財 |
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住所 | 〒036-8185 青森県弘前市御幸町8-10 |
営業/休業 | 火曜日・8月12日~15日・年末年始 |
営業時間 | 9:00~16:00 |
料金 | ●ガイド付き見学 1日1回午後12時〜(所要時間約40分/定員20名様迄)見学料/500円(税込) ●一般見学(ガイド無) 午前9時〜午後4時迄 見学料/300円(税込) 以下の方は見学無料 ・18歳以下 ・70歳以上の方(生年月日の記載があるものを提示) ・障害者の方(障害者手帳を提示) |
見学の際の注意事項 |
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交通 | JR弘前駅より弘南バス 徒歩20分 中央弘前駅より弘南鉄道/大鰐線「弘高下駅」下車徒歩10分 |
関連リンク |