HIROSAKI Heritage|建物が語る弘前文化遺産
あおもり創成パートナーズ株式会社
翠明荘(旧高谷家別邸) 日本館・奥座敷・土蔵・門・四阿

すいめいそう(きゅうたかやけべってい)にほんかん・おくざしき・どぞう・もん・あずまや 翠明荘(旧高谷家別邸) 日本館・奥座敷・土蔵・門・四阿

翠明荘は、津軽銀行頭取等をつとめた実業家の高谷英城が別邸として昭和9年(1934年)に建設したもので、明治28年(1895年)建築とされる奥座敷と土蔵を取り込んでいる。昭和37年(1962年)に所有者が変わり、旅館「翠明荘」として営業、平成2年(1990年)に現在の所有者となり割烹として利用されていたが、令和2年(2020年)9月30日にて閉店、現在活用へ可能性を探っている。設計施工は堀江組が担当し、棟梁を堀江佐吉の九男・堀江弥助が務めた。

日本館は、敷地南半を占める大規模な木造平屋の建物で、L字形平面で入母屋及び寄棟造を組み合わせて複雑な銅板葺屋根を構成する。内部は座敷や主人室、主人客室ほか主要各室で座敷飾りの意匠を違え、金箔をちりばめた格天井など、贅を尽くした造作となっている。建具は、七々子塗りなどの漆塗が施されるなどによる凝った造りとなっており、中でも欄間・扉等の彫刻は、富山の名工で日展評議員も務めた横山白汀の手によるものである。三間一枚の欅の廊下、七間半のつなぎ目の無い板を敷き詰めた廊下や玄関の天井の杉板など、現在では手に入らないであろう部材が使われている。

奥座敷は、落ち着きのある書院座敷である。日本館北西に南北棟で建ち、桁行11.1メートル梁間6.5メートル、木造平屋建、切妻造銅板葺で、下屋庇をまわす。南北に8畳2室を並べ、東の庭園側に縁を通す。北室には北面にトコと天袋を付し、トコと縁境には障子を嵌め込む。

土蔵は、奥座敷の北に東西棟で建ち、桁行7.3メートル梁間5.5メートルである。土蔵造2階建、切妻造桟瓦葺で、外壁は漆喰塗で腰をモルタル塗とする。奥座敷側に出入口、東西妻面に窓を穿ち、両開戸を吊る。開戸は段数の多い掛子塗で、軒周りとともに丁寧に仕上げられている。

門は、日本館の南側に、店舗と駐車場を画する塀の中央西寄りにあり、間口2.4メートルの一間薬医門で、切妻造銅板葺である。5平の本柱を冠木で固め、前後に男梁と女梁を架ける。軒は一軒繁垂木である。装飾性は少ないが、大振りな外観が風格を示している。

四阿は、日本館の北に広がる庭園の西北隅に位置し、池を向いて建つ。木造平屋建、桁行2.1メートル、梁間2.0メートル、寄棟造茅葺。柱は磨丸太で、西側面後寄りから背面にかけて土壁を設け、腰掛を付設する。土蔵を背景に従え、庭園に彩りを添える瀟洒なものである。

いずれも平成20年(2008年)度、弘前市の「趣のある建物」に指定されている。平成24年(2012年)2月23日、国の登録有形文化財となっている。さらに、平成24年(2012年)10月16日には、弘前市の魅力的な景観づくりを目的として景観重要建造物に指定されている。

見どころ

豪華な建物で、かつ、保存状態がとてもいい建物です。主要な部分の竣工当時の写真と見比べてみても、ほとんど変化がありません。庭園は、函館市の旧岩船氏庭園を手がけた京都の庭師・辻地月です。小規模ながら、姿のいい景石や巨大な手水鉢などで構成された、趣のある枯山水の庭です。弘前の実業家高谷英城の別邸として建てられた一群の建物の一つです。厳選された材料や調度品で構成される、豪華な建物です。

基本情報

区分 景観重要建造物、登録有形文化財
住所 青森県弘前市元寺町69 地図
見学の際の注意事項 非公開
交通 【バス】
JR弘前駅より弘南バス 土手町循環100円バス「文化センター前」下車 徒歩約3分
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